首を絞められた事件から1ヶ月。 身体の傷は癒えても、心の傷は深く、鋭く、息子・息子の中に残り続けていました。
それでも11月、彼は「学校に行く」と言い出しました。 その目的は、ただ一つ。「みんなと宿泊学習に行きたい」という切実な願いでした。
親として、その願いを叶えてあげたい。けれど、彼が直面していた現実は、大人の想像を絶するほど過酷なものでした。
この記事は実話をもとに母親目線で書いています。
実話をもとに1. 教室が「事件現場」に変わった日
宿泊学習という目標は、彼にとって暗闇の中の小さな光でした。しかし、その光に辿り着くための道のりは、あまりに険しいものでした。
校門をくぐることさえ、全身の血の気が引くような恐怖。 特に「教室」という場所は、あの日、突然首を絞められた時の情景や感触がフラッシュバックする、耐え難い空間になっていました。
「教室には、どうしても入れない」
それは甘えではなく、彼の脳と体が「ここは危険な場所だ」と必死に発信しているSOSでした。
2. 相談室での孤独な戦い
教室に入れない息子は、学校の「相談室」へ通うことになりました。 授業の声が遠くに聞こえる静かな部屋で、彼は一人、自分の心と向き合っていました。
「みんなと一緒にいたい」という願いと、「でも怖い、誰にも触られたくない」という本能。 その板挟みになりながら、宿泊学習に参加するための出席実績を作るため、彼は数時間を必死に耐えていたのです。
3. 「お昼前のお迎え」という命綱
そんな彼の限界を支えたのは、学校教育課のコーディネーターさん、そして家族のサポートでした。
「給食までは無理をしなくていいよ」
「お昼前には必ず、コーディネーターさんかお母さんが迎えに行くからね」
その約束があったからこそ、彼は数時間だけ「学校」という空間に留まることができました。迎えに来た私たちの姿を見た時の、彼のあの「解き放たれたような安堵の表情」は、今でも忘れられません。
当時の彼にとって、学校は「いつ再び命を脅かされるかわからない場所」でした。そんな場所に、宿泊学習のために通い続けた11歳の勇気は、並大抵のものではなかったはずです。
4. 「頑張り」の裏側にあった本当の声
後になって、彼は当時のことをこう振り返りました。 「あの時は、本当に、本当に学校に行くのが辛かった。怖かった」
「目標があるから頑張れているね」と、周囲の大人は励ましのつもりで言うかもしれません。しかし、その頑張りの裏側には、毎日ボロボロになりながら、トラウマを力技でねじ伏せて登校していた少年の壮絶な葛藤がありました。
親ができるのは、その「頑張り」を賞賛すること以上に、「怖かったね」と彼の恐怖を丸ごと受け入れ、安全な場所(家)へと連れ帰ってあげること。相談室という避難所、そして「お昼のお迎え」という約束は、彼にとっての唯一の酸素でした。
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