「これは単なる暴力ではありません。命に関わる、殺人行為と同じです」 そう訴える私に対し、学校から返ってきたのは、想像を絶する言葉でした。
学校という場所が、被害を受けた子どもを一番に守ってくれる。そんな淡い期待は、事件からわずか数日後の朝、もろくも崩れ去ることになります。
1. 10月6日:母としての決断
事件から3日後。首を絞められた恐怖で、息子は学校に行くことができなくなっていました。私は仕事を休み、朝一番で学校へ向かいました。
職員玄関で対応した先生方に、私ははっきりと伝えました。 「首を強く握って押し倒す。これは命の危険がある行為です。相手のXくんは空手も習っていると聞きました。息子は怖がって登校できません。私たちは、警察に被害届を出します」
この記事は実話をもとに母親目線で書いています。
2. 「被害届を出さないでほしい」
その言葉を聞いた瞬間、学校側の空気が変わりました。返ってきたのは、息子の体調を気遣う言葉ではなく、信じられない「お願い」でした。
「どうか、警察に被害届を出すのはやめてほしい」
学校の評価を守りたいのか、あるいは手続きが煩雑になるのを嫌ったのか。目の前で震えている被害者のAくんよりも、組織の平穏を優先しようとする姿勢に、私は絶望を通り越して激しい怒りを覚えました。
教頭のM先生たちは、学校を怖がる息子を保健室横の部屋へ連れて行き、「学校に来るように」と説得を始めました。しかし、心に深い傷を負った息子の答えは、一貫して「無理」でした。
私はそのまま、息子を連れて糸満警察署へと向かいました。
3. 予定されていた実況見分と、不自然な結末
警察に被害届を提出した後、その日の夕方16時に学校で「実況見分」が行われることになりました。
怖がるAくんをなだめ、再び学校へ向かった私たちを待っていたのは、教頭のM先生、担任のH先生、そして別の先生の3人でした。しかし、そこで教頭から信じられない一言が告げられます。
「被害届は受理されました。でも、警察からは今日は来ないという連絡がありました」
耳を疑いました。警察からは「学校に着いたら電話するように」と言われていたからです。私がその場で警察署に電話をすると、担当者は「折り返し連絡する」と言ったきり、一向に連絡が来ませんでした。
16時30分。教頭のM先生は立ち上がり、事も無げにこう言いました。 「警察も来ないようですし、今日はこれで解散です」
まるで何事もなかったかのようにその場を切り上げようとする学校側の対応。私はあまりの不誠実さに、怒りが爆発しました。
4. 救世主、教育コーディネーターとの出会い
殺伐とした空気の中、部屋に入ってきた一人の女性がいました。学校教育課のコーディネーターさんでした。
部屋での激しいやり取りを聞きつけ、仲裁に入ってくれたのです。彼女は私たちの話を遮ることなく聞いてくれました。このコーディネーターさんとの出会いが、閉ざされた学校との関係の中で、唯一の、そして最大の救いとなっていくのです。
この日、私たちは「学校は子どもを守る場所ではないのかもしれない」という、暗く冷たい現実を突きつけられました。
翌日、息子は勇気を振り絞って友達のB君と一度は家を出ます。しかし、学校までの道のりの途中で怖くなり家に引き返しました。帰り道、突然パニックを起こし、自分のいる場所が分からなくなり、同じ道をぐるぐる回って、血相を変えて帰ってくることになります。
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